「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」感想

東京都現代美術館で開催されている石岡瑛子の大規模回顧展、「石岡瑛子~血が、汗が、涙がデザインできるか(会期:2020年11月14日~2021年2月14日)」に行ってきました!

インパクトの強いタイトルが付いている本展示。血を、汗を、涙をデザインするって?と疑問を持ちながらワクワクと会場に向かいました。恥ずかしながら今まで名前も知らないアーティトでしたが、結果として、素晴らしいデザインワークの数々と出会うことができました。 

f:id:artmole:20210204180724j:plain

画像出典: 東京都現代美術館HP

 石岡瑛子とは

石岡瑛子(1938~2012)は東京生まれ。デザイナー、アートディレクターとして、日本のみならず海外でも精力的に活動しました。

彼女のデザイナーとしてのスタイルは、常に斬新なことにチャレンジし続けること。石岡のキャリアは資生堂やPARCOの広告デザインから始まり、映画、舞台、オペラ、サーカス、オリンピック、ミュージックビデオなどの演出や衣装デザインなど、生涯にわたりその活動の場を広げ続けました。

 石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」の展示作品

今回の回顧展には石岡瑛子が生涯に渡り手がけた数々の作品が展示されており、かなりボリュームのある展示となっていました。2020年に同会場で開催されていたオラファー・エリアソンの企画展は地下のスペースだけでしたが、今回は上階も合わせた計2階が展示スペースでした。

展示作品は、初期に手がけた数々のポスターデザインから始まり、装丁を担当した角川書店の書籍、ポスターの原稿(赤字で指示コメントが入っていたりして興味深いです)、衣装のデザイン画と制作した衣装、更には映像作品やプロデュースしたアーティストのライブ映像、ミュージックビデオなど、様々な作品が展示されていました。ボリューム満点です。 

これから詳しく述べていきますが、今回の展示作品を見て垣間見えたのは、石岡の唯一無二のものを作り続けるという信念と、デザインに対する情熱でした。 

時系列順に並べられた石岡瑛子デザインの軌跡

展示は、「Timeless:時代をデザインする」、「Fearless:出会いをデザインする」、「Borderless:未知をデザインする」の3章から構成され、展示作品は年代順に並んでいます。これにより、石岡が手掛けたデザインの軌跡を時代を追うように鑑賞することができました。

また、作品と解説を通して石岡のデザイナーとしての信念を知ることがき、会場を進むごとに「石岡瑛子のデザイン作品」ではなく「石岡瑛子のデザイナー人生そのもの」を辿っている気持ちになりました。

因みに、会場2階では石岡本人が自身の作品とデザインへの情熱について語ったインタビューの音源が終始流れていました。この演出もまた、彼女の精神世界に入り込んだかのような気持ちになります。 

デザインへの情熱

「血が、汗が、涙がデザインできるか」とは何か。その答えは会場に足を踏み入れるとすぐに見つけることができました。

つまりそれは「デザインで感情が表現できるのか」という問いかけです。石岡はこのように、デザインに対し問いを立て、その答えを模索するように生涯に渡り様々な作品を手掛けました。

「どの作品にも全力で挑戦してきた。昔作った作品を見ると、自分いい仕事してるなと感心することが多々ある。時が経ってもデザインが新しい。まるで昨日作ったかのよう。」とは会場に流れていた彼女の音声の一部です。彼女自身の言葉が語るように、会場に飾られた作品には、古臭さがありませんでした。 

石岡瑛子のデザイン人生

1960年代、石岡は資生堂に入社します。入社面接の際、石岡は「男性と同じ仕事と待遇」を求めました。この頃から、彼女には性別の枠に超えていこうとする信念があったのですね。

資生堂時代やPARCOの広告デザインといった初期の作品を見ると、石岡がいかに従来の女性像を壊すために力を入れていたのかが分かります。従来の女性像とは、当時の男性が思い描くような、おしとやかで大和撫子のような女性を指します。そのイメージを破壊するように、石岡は女性の柔軟なあり方を広告デザインを通じて発信していきました。結果として、そのデザインは社会現象をも巻き起こします(後述)。石岡の唯一無二の個性的なデザインは、彼女の信念を社会の人々に伝染させていったのですね。

1980年以降、石岡は活動拠点を日本からニューヨークへと移します。活動拠点を海外に移した背景には、自身の作品を評価しない日本への失望があったのも事実です。

しかし、拠点を海外に移し、アーティストとのコラボレーションに力を入れることで、石岡のデザインは更なる次元へスパークしていきました。この頃には映像作品や舞台美術、北京オリンピックの衣装デザインなど、規模の大きな案件を数多く手掛けています。 

印象に残った作品紹介

石岡瑛子の世界にどっぷりと入り込める本展示。作品はどれも個性的でそれぞれがメッセージ性を持つため、1度の訪問ではなかなか拾いきれない部分もありました。そんな中でも私が個人的に印象に残った石岡瑛子の作品をいくつか紹介したいと思います。 

 社会現象を巻き起こしたという資生堂のサマーキャンペーン

f:id:artmole:20210130183148j:plain

画像出典: SankeiBiz

会場に入ると初めに迎えてくれたのが、この資生堂ポスター群。従来の「綺麗で美しいだけ」の女性像を変え、活動的で健康的な女性イメージを押し出したシリーズです。なんと、ポスターの盗難が発生する社会現象を巻き起こしたそう。現代の視点から見ても、凛と強く、魅力的な女性像が写ります。 

PARCOのポスターデザイン

f:id:artmole:20210202233852j:plain

画像出典: TIMELESS

 PARCOのポスターシリーズは、石岡の独特なセンスと信念が冴えわたっています。ここでも石岡は女性に対し、女性の在り方を問いかけます。「誰かが作ったイメージから自分を解放してもいんじゃない?」そんな声が聞こえる気がしました。 

金閣寺がパックリと割れるシーンが象徴的な『MISHIMA』


『MISHIMA』監督ポール・シュレイダー、美術石岡瑛子、提供コッポラ

石岡が美術を担当した映画『Mishima: A Life in Four Chapters』。この作品は、文豪・三島由紀夫の生涯とその文学作品をテーマにした、アメリカと日本の合同制作映画です。1985年公開の映画ですが、日本では2021年現在、未だ未公開となっています。Wikipediaにはその理由が次のように記載されていました。

当初日本でも『MISHIMA ――11月25日・快晴』の邦題で公開予定だったが、三島役の同性愛的描写などに対し瑤子夫人が反対し右翼団体の一部が抗議しているという噂が流れたため、映画配給会社が躊躇して日本では劇場公開されなかった。

出典:wikipedia

幻想的で美しい舞台美術を伴ったっこの作品が日本で公開されていないというのは惜しいですね。

自身の作品が受け入れられなかったこの経験は、彼女の中で日本への失望へと繋がっていったようです。  

Bjork - CoCoon

世界的な歌姫であるBjorkとのコラボレーション作品です。ダンサー・イン・ザ・ダークで主演をつとめ、その演技力を見せつけたBjork。そんな彼女に石岡が興味を持ったタイミングでBjorkから「何か一つでも良いので私の作品のアートディレクターをしてほしい」とラブレターが届き、実現したコラボなのだとか。

両者のスケジュールの都合でコラボが実現したのはこの1作品のみというのが寂しいところです。

コラボした楽曲「CoCoon」のミュージックビデオはぜひ一度見てみて頂きたい。綺麗な音楽と不思議な映像にしばらく忘れられなくなります。ニコニコ動画のリンクを貼っておきます。コメント非表示で見るのがお勧めです(笑)

www.nicovideo.jp 

最初と最後の作品から見えるデザイナー人生

最後の展示スペースには、石岡がデザインを担当をした「白雪姫と鏡の嬢王(2012年)」の衣装が飾られていました。石岡”最後の作品”です。この衣装、ドレスの帯が着物のように見えました。海外で活動する中でも、最後まで日本が彼女のアイデンティティの一部であり続けたのかと思うと、同じ日本人としてなんだか嬉しくなります。

そんな気持ちになりながら、ふと隣を見ると、出口の近くに更に1つ小さな展示ガラスケースがありました。ケースの中に置かれていたのは、紫色が象徴的な、ポップで独特なイラストの絵本でした。「最後の最後にこんなに小さな作品?」と思ってしまいましたが、解説を読むとここにもしっかりと理由がありました。

その絵本は、石岡が海外の高校を卒業する際に制作した卒業制作でした(海外の高校を卒業していたことにも驚きです)。

絵本のストーリーは、石岡自身がモデルであろうエコという少女が「私の夢がかないますように!」と夢をいっぱいに詰め込んだ物語。この”最初の作品”の制作後、石岡は東京藝術大学へ入学し、世界で活躍するデザイナーへの道を歩みます。

この”最初”と”最後”の作品を並べ、本展示は次のようにまとめられていました。

「希望に満ちた少女時代、世界の人々に向けるように英語で作られたこの絵本と、ハリウッドで最後の日々に描いた、自由で自立した白雪姫の物語は、石岡瑛子というひとりの表現者の中で途切れることなく繋がってい」。亡くなる前年のインタビューで彼女が語った言葉は、その証といえるだろう。「仕事をしているというよりは、ずっと長い創造の旅を続けている感覚ね」と話します。

(出典:岡本瑛子展の解説)

この言葉の通り、石岡瑛子とは、最初から最後まで、デザインという創造世界を旅し続けたデザイナーだったんですね。 

おわりに

本企画展のwebサイトでも言及されていましたが、石岡瑛子の没後9年が経とうとしている今、回顧展が開催されたことについて、「日本であまりにも名前が知られていない彼女のデザインワーク日本に伝えるため」という意図があったようです。

今回の展示では、石岡がたずさわってきた仕事が年代順に並べられていました。これが石岡瑛子というデザイナーを理解するのにとても効果的な展示方法だったと思います。

商業デザインって、アーティストのように作品と名前が大々的に残るものでもないし、キャリアが長くなれば作品の数も莫大になります。そんな中、年代ごとに石岡の作品を辿ることで彼女の情熱や信念を知ることができました。また、それらが如何に変化し、アーティストとのコラボレーションを続け、切磋琢磨する環境にその身を置くことにより次元の高い制作物を求め続けたのか。彼女のとてつもない凄さに触れることができました。

そんな精神的な部分まで含め、石岡瑛子というデザイナーの作品の魅力を教えてくれた「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」は、素晴らしい企画展でした。大満足です。